橋本聖子さんの騒動で、男女同権は新しい段階に進んでるんだなと思った話
今回の橋本聖子さんの件、セクハラ・パワハラじゃないかとのことで話題になってますね。
橋本聖子会長、高橋大輔に「キス強制してない」 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
私個人は当初そんなにこの話題に興味なかったんですが、
「これが男女逆だったらこの程度のバッシングじゃ済まない」
「男女同権を謳うなら男女逆の場合と同等の処分が必要」
という意見を目にして、ああこれってそういう要素を含んだ話だったか、確かにその通りだと思いながら見ています。
(入閣を巡る足の引っ張り合いだという読みもありますが、たとえそうだったとしても大臣になってから発覚するよりはマシのような気もしますし・・・。)
ネットではもう何年も前から男性への逆差別については言われていましたが、今回の件はそういったことへの認知が浸透してることを現しているような、ひとつの象徴的な事件のような気もします。
女性解放運動のおかげで女性が声を上げることができるようになり、現代にいる自分が自由に選択して生きられるのもそのおかげなんだなぁと時々朝ドラを見ては思いますが、男性の場合、男性解放運動は一応あるらしいものの日本では浸透していないようで、その代わりネットがその「声を上げる後押し」という役割りを果たしているのかなぁなどと思ったりします(まあネット関係なく、今の若い世代がデジタルネイティブならぬジェンダーフリーネイティブなせいもあると思いますが)。
男性は男らしさに縛られ、「男が細かいことごちゃごちゃ言うのはみっともない」という強迫観念ゆえに現実社会で小さな不満を口にすることを憚られたけど、ネット上ではそれから自分を開放することができるのかなぁと(まあそれは女性にとってもそうですが)そんなふうに思いました。ネットの匿名性には良い面悪い面両方あるけど、必要以上の女性批判等々を除いてはとても良い流れなんじゃないかなぁと思います。
今後は「男がそんな細かいこと言うのみっともない」とか、経営者が男性社員に対して「男なんだからもっと働け」みたいな言い方もセクハラと認定され、できなくなっていくのかなと思います。
個人的には、何でもかんでも男女同じである必要はないと思ってますが、社会がそういった方向を目指すなら、男女忌憚なく声を上げ合って両者の不満がなるべくない状態が維持できるといいなと思います。
まあ今はこんなこと言ってる自分も、独身時代は「女のほうがやることが多くて複雑で大変だ」という点にしか気付かず、男性側の大変さや男女同権における矛盾に気付いてませんでしたが・・・。
他のエントリーでも言及しましたが、NHKのクロ現でもこんな特集が組まれるくらいですから、やはり今は男女問題の過渡期なのかも知れませんね。この記事に出てくる「男のダブルスタンダード」という言葉はとても示唆的です(個人的には「社会が男性に求めるダブルスタンダード」と思っていますが)。
もちろん出産にまつわることや身体能力的なことなど、男女逆にして考えても全く意味のないことも多いですが、今後女性の管理職も増えていくでしょうし、こういったことは遅かれ早かれ突きつけられることになるだろうなぁと思います。
大体ネットで言われていることは数年のタイムラグを経て一般に浸透することが多く、今の日本の保守寄りのムード(是非は別として)も3年前には予想もしませんでしたが、今回の橋本聖子さんの処分がどうなるか、またこの事件をきっかけに男女同権の考え方がどう進んでいくか、しばらく眺めていようと思います。
[DIY]大工父の監督のもと、ノミを使って木材を切りかぐ
盆休み。
ちょくちょく棚の相談していたら、「手伝ったるで」と大工の父が泊まりがてら母と一緒に来てくれました。
腹ごしらえののち、SketchUpで描いた設計図を見てもらい作業開始です。今回は柱と腕木の切りかぎ(欠き込み)作業。初めてのノミ楽しみです。
その前に以前SketchUpでなぞったとおり、まずはノコギリで切れ目を入れるところから。
丸ノコ持参して来てくれたんですが、それだと怖くてマネできないので、頼んでノコギリで作業してもらいました。
が、数分ノコギリで切ってくれた後、
父:「こらやっとれんで」とやはり丸ノコが登場することに。
いやしかし丸ノコはやっぱり私レベルの素人にはムリです。途中、木の節目に引っかかってはぜるような場面もあってヒヤッとしました。くれぐれも皆さんには手動のノコギリをおすすめします。写真は腕木にノミで切り取る用の切れ目を入れているところ。
一方、柱の方にもこんな風に切れ目を入れました。
余談ですが、こんな風に木材の上に乗せて作業したら、特別に台を用意しなくても、座ったままでも作業しやすいんだなと。
真ん中に2本、ノミで作業しやすいように「捨てノコ」もいれました。
さあ、いよいよノミで切りかぐ作業に入ります。
私も買ったノミを研いで準備してたんですが、
「これ研げてないで。お父さんもってきたやつでしよか」
と父持参のノミでお手本を見せてもらいました。
下にキズ防止と消音のために畳んだタオルなどを敷いて、上からハンマーで叩くと、ポロッと面白いように木片が落ちます。
後はこんな風に削るように断面を整えていきます。
私もやってみたけど超楽しい!ハンマーで叩いてポロッと外す作業も、こうやって削る作業も何故かすごくハマって黙々といつまでもやってたい感じ。
カメラマン役を頼もうと思ってた母はおひるね爆睡中だったので、仕事の調べ物してた旦那が援護に来てくれました。(プログラマーの旦那は半分仕事が趣味なもので。決して社畜ではありません)珍しい光景に旦那も興味深そうに見てました。
ここからもう少し整えますが、柱の方のカギ込みの途中工程もこんな感じです。
といった感じで、夏休み親子自由研究といったところでしょうか(歳のことは置いといて)。いろいろ会話もできて、いやー楽しかった。
作業しながら、
「木材が曲がっている場合、墨付けとか難しいんだけど、どうしたらいい?」
と質問してみたんですが、
「まあ多少曲がってても、木同士組み立てたら矯正されるやろ」
とのこと。そう言いながら角材をグイグイ押してたわませて均すようにしてました。
「切りかぎ過ぎて、木材を組み合わせた時にゆるくなってしまったら、ノミで削った木くず(木片に近い大きさのやつとか)を一緒に挟み込んだらええねん」
とも言ってました。
父の作業を見てて思ったことは、ざっくり作業進めていって、後で微調整するような気持ちでやればいいのかなぁってこと。てげてげと言うかケセラセラと言うか、まあそんな感じで作業したほうが楽しいなぁと思いました。
昼過ぎから初めて16時頃までやったところで、
「もうお父さん疲れたわ。後は自分でやって」
とのことで、その後はみんなで肉とビールと焼酎でいろんな話に花が咲き、これまた楽しい酒盛りでした。
父は奄美諸島の喜界島出身なので、私たちのルーツの話や仕事の話等々。就寝前にも大工仕事で使える物理や数学的な話もしてくれて、これには数学好きの母とこれまた数学好きプログラマーの旦那も興味深そうに聞いてました。DIYにも活用できそうなので、これについてはまた改めて書こうと思います。この日やり残した作業も後日に。
そんなこんなでとても楽しいお盆でした。またこんな機会があればいいなぁ。
[DIY]墨付けやヤスリがけがやりすい木材の選び方
棚のほう、更新が7月から止まっているように見えますが、水面下で超マイペースに作業を進めています。
前回は40番~80番くらいの荒目でのヤスリがけまでやりましたが、その後150番(中目)、400番(細目)での作業も完了し、今は棚の高さに印(墨付け)まで完了したところです。
この作業の間に実感したことは、
- ヤスリがけは荒目が一番しんどくて時間がかる。でも中目、細目はササッとでOK。
- 墨付け難しい・・・。
の2点。実作業でこういったことを実感し、改めて、
- なるべくまっすぐの木材
- なるべくケバが少ない木材
を、買う際に吟味して選ぶのが結構大事
ということがわかりました。特に1。
パイン集成材など木片を集めて成形されたものはかなり真っ直ぐで寸法も合わせやすいですが、そうではない無垢材はまっすぐに加工されてるように見えても結構まがってて、なかなか寸法が合わせづらいなぁと実感しました。
今回もこんな風に床の段差に柱の足の部分を揃えて、各柱ごとで寸法が違って出来上がった時に棚がガタついたりしないよう細心の注意をはらい棚位置の墨付けをしてたのですが、表面と裏面でなぜか線の位置が違う、柱ごとに高さが違う等々、なかなか揃わず苦労しました。
届いた木材の中でもなるべく真っ直ぐな3本を柱用に選んだのですが、それでもやっぱり曲がってるんですねぇ。何度か書き直しましたがそれでもズレる。うーん、墨付けは難しくかなり神経を使う作業だと実感しました。今度父にコツを聞いてみよう。
ヤスリがけについては、これもきれいに表面加工されてる木材を選んだつもりでしたがそれでもやっぱりケバが残っていて、特に節のところは硬くてかなり手間がかかるとわかりました。しかしそれも最初の荒目での作業のみで、そこさえクリアすれば後の中目細目はわりとラクだということもわかりました。
ということで再度、
- ヤスリがけ(荒目)はめんどくさい
- 墨付けは難しい
ということと、木材選びのポイントは、
- なるべくまっすぐ
- なるべくケバが少ない
ということと、この木材選びに時間をかけておけば後の作業が楽になる、ということを肝に銘じておこうと思います。
この後はいよいよ「欠き込み(カギ込み)」の作業に入るので、ノミを研いで準備を整えておこうと思います。
笹井さんを自殺に追い込んだ責任と、今だ男性に強さと我慢を無意識に求めることについて
STAP細胞の騒動については前々から関心があったのですが、あんまり私の生活と関係ないので書かないでおこうと思ってました。しかし下の記事を読んでちょっと思うところあったのでまとめて書いてみようと思います。
理研、笹井氏異変を10日前に把握 辞任認めず対応遅れ「速やかに検証する」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
記事からわかること
- マスコミと世論だけが笹井氏を自殺に追いやったわけではない
- 理研の、小保方さんと笹井さんへの精神的ケアに差がある
なぜ小保方さんと笹井さんへの対応に差があったかの推測
- マスコミにより晒されている小保方さんを守ろうという意識が働いた
- 「まだ未熟な研究者である」「若い」「女性である」という要因から、理研は小保方さんを保護する必要を感じたのに対し、笹井氏には安定したキャリアを積んだ成人男性であることから逆に「耐える」ことを求めた
2.について率直に言うと、やはり両者に対して「強くあるべき者」と「弱い者」という捉え方が無意識にされていたんじゃないかと理研上層部の対応を見ていると思う。実際、竹市センター長が「もう少し我慢してほしかった」と言ったとの報道もあった。
両者の責任の大きさの差と事件への認識の差の推測
しかし両者の感じている責任の大きさ、認識というのは、今までの報道から以下のような差があったのではないかと思う。
- 小保方氏
認識する責任の大きさ → 自分にかかる範囲の責任
事件への認識 → 自分が未熟ゆえなので仕方ない。論文の完成度が低かっただけでそれはSTAP細胞の有無とは別 - 笹井氏
認識する責任の大きさ → 自分自身の責任、小保方さんへの責任、理研組織への責任、この分野の第一人者としての社会への責任、(あるいは家長として家族への責任)
事件への認識 → 対iPSで劣勢に立たされる中でSTAP細胞といううまい話につい魔が差してしまった後悔、小保方さんの実力を見抜けず適切な管理監督しなかったことへの後悔、会見で「STAP現象は仮説」と明言しながら立場上それを否定出来ないという矛盾の自覚・・・等々
中身は間違っている部分もあるだろうけど、今までの報道から両者にこれくらいの責任の量的な差、認識の差はあるだろうと推測するのは可能なんじゃないかと思う。
何が笹井氏を苦しめたか
つまり大きな量の責任が笹井さんに真正面からかかっていた上、元記事にも「辞めさせてもらえない」とあるように、逃げ道も塞がれてしまった。それが苦しかったのではないか。
個人的にはもうひとつ笹井さんを苦しめた要因があるのではないかと思っていて、それは、
「“ 科学に誠実にありたい研究者としての自分 ” と、“ 組織や小保方さんのためにそれ(科学への誠実)を拒まざるをえない自分 ” との間で苦しんだのではないか」
ということ。これはとても組織人的な要因なんじゃないかなぁと思った。
自分個人は、自分や自分が大切にしてるものに忠実にありたいけど、そうすると組織や周りに迷惑をかけてしまう、または組織や周りがそうあることを許してくれないとか。自分の本心と周りとの間で板挟みになってしまうのではないかと。
私はこういった、誰かが大きく凋落するような事件が起こるたびに小室哲哉の件を思い出したりするのだけど、たとえば彼のように大きく転落しても自分一人のことなら早々に「ごめんなさい」することができる。そして再出発できる。「捨てる神あれば拾う神あり」でチャンスが巡ってくることもある。だけど本当のことが言えない、ごめんなさいできない、事件が終わらない、その限り再出発もチャンスも巡ってこない、いつ終わるともわからないそんな状況が延々続く。そんなことも笹井さんを苦しめたんじゃないかなと思う。
マスコミや世論のせいもあるだろうけど、上記のような要因があるとすればそれはほんの一部じゃないかなと思う。そう考えると組織の中でそれなりの責任を背負っている人で、かつあまり自己正当化が上手じゃない人には起こりえる状況じゃないかなと思う。
ちょっと飛躍した個人的な考え
ところで、このSTAP細胞については当初から小保方さんの女子力がクローズアップされ、それを“マスゴミ”的と嫌う声も多かったけど、しかし冒頭にも少し触れたように、私個人はこの「男女の差」はこの自殺まで関わり続けているんじゃないかと思う。
Twitterを眺めていたら、笹井氏の自殺に対して「日本の男は弱い」と言っている人がいて、やっぱりまだまだ私らの無意識には「男は強くあるべき」みたいな価値観が刷り込まれてなかなか消えず、ふとした瞬間にポロッと出てきてしまうんだろうなぁ、そしてやっぱり理研上層部の人たちも無意識に笹井さんを男性である(それ以外の要因ももちろんあるけど)と認識して耐えることを求めたのではないだろうかと思った。
女性が女性らしさを強いられて苦しんできた一方、男性も男性らしさを強いられてきたんだけど、女性が求めてきた男女同権に社会が近づいていく中で、男性にもそういった「しばり」が存在したことに(社会が?)気付き始めたんじゃないだろうか。NHKのクローズアップ現代でも最近このような特集が組まれたりしている。
少し話はそれるけど、女性は腕力や体力、妊娠出産にまつわる部分において男性や社会のフォローが必要ではあるけど、頭脳労働やメンタルの場面においては男女どっちが強いとか弱いとか言い切れないのではないかと思うので、その女性に必要なフォローの範囲をもっと厳密に線引きすれば男性も楽になるのではないかなと思う。
笹井さんに責任が大きくのしかかったのは、立場的なもの、年齢的なもの、性格的なものその他いろいろあって決して「男性だったから」だけではないだろうけど、小保方さんとの対比の中で自分はどうしてもそこに目が行ってしまった。
男性であれ女性であれ、弱かろうが責任を真正面から受け止められなかろうが、それで死なずに済むならそっちのほうがいいなと思う。
ザッパなのに難解じゃない、女性ウケしそうな美しい名曲5選ほか2選
フランク・ザッパといえば難解かつあまり上品じゃない作品が多いということで、今までなかなか聴く機会に恵まれなかったという方も多いかと思います。
正直言うと私も受け付け難い曲が大半ですが(ガチのザッパファンの皆さま申し訳ありません)、なぜかたまに美しくて聴かずにはいられない魅力的な曲が存在します。
ということで、個人的に「美しい」と思う女性でも聴きやすそうな5曲と、美しいとはちょっと違うけど、ザッパにしては聴きやすくかっこいい曲2選をリストアップしてみます。
1.Peaches En Regalia(Hot Rats 収録)
Frank Zappa Peaches En Regalia - YouTube
ザッパの中では有名な曲で、『フィルモア・ライヴ '71』や『Tinsel Town Rebellion』等のアルバムにも全く違ったアレンジかつクセのあるライブ音源が収録されています。どれもかっこ良くて甲乙つけがたいですが、やはりこのオリジナルが一番クセがなく聴きやすいと思います。
(→フィルモア・ライヴ版/→Tinsel Town Rebellion 版 “Peaches Ⅲ”)
ちなみに『Hot Rats』は発表当時イギリス中心にヒットしたようです(Peaches En Regalia自体もヒットしたとどこかで見た気がするのですが、ちょっとソースが見当たりませんでした)。日本では「桃の冠」とか「桃の勲章」と訳されているようです。
2.Waka/Jawaka(Waka/Jawaka 収録)
Frank Zappa - Waka/Jawaka (Waka/Jawaka, 1972 ...
疾走感が気持ち良い曲です。一般的なザッパのイメージと真逆の、とても爽やかな曲です。クライマックス前のドラムソロの「タメ」およびそれ以降は飛行機が離陸する瞬間のような開放感です。『Waka/Jawaka』全体としてもわりと聴きやすめです。
3.It Must Be a Camel(Hot Rats 収録)
Frank Zappa - It Must Be a Camel - YouTube
これも “Peaches En Regalia” と同じく『Hot Rats』収録曲です。何となく夜向きのキラキラした音色が美しいです。
4.Inca Roads(One Size Fits All 収録)
Vinyl (MCS 6700) - Frank Zappa - Inca Roads ...
これもザッパの代表曲です。カル・シェンケル(ザッパのアルバムジャケットの多くを手がけているアーティスト)のジャケットも含め、個人的にも大好きな曲です(美術の時間に模写した思い出が)。確か私が初めて聴いた曲でもあります。最初に耳にした時、なぜか懐かしさを感じたのはこの曲が私と同じ時代に生まれからでしょうか。ジャケットも含め70年代特有のSFチックな何かを感じます。同じアルバムに収録されている“Sofa”もピアノの曲がキラキラ美しく有名な曲です。
5.Night School(Jazz From Hell 収録)
Frank Zappa - Night School (Remaster 2012) - YouTube
ザッパがシンクラヴィアにハマっていた頃の代表的作品『Jazz From Hell』に収録されている曲です。いわゆる打ち込み系です。これも宇宙的なキラキラ感のあるきれいな音色の曲です。個人的にはなぜかパーラメントフィリップモリスのCMのような映像が思い起こされます。
以上、女性ウケしそうな“キラキラ”美曲5選でした。
私が聴いていた当時はあまりこういったインストゥルメンタルは主流じゃなかったのですが、今の時代だと逆に歌詞がないほうが聴きやすく、音楽のジャンルも幅広くなっているので受け入れられやすい状況になっているのはないでしょうか。
次に、女性ウケとは違うけどちょっと中毒性が高そうでかっこ良いのを2曲。
Eat That Question(The Grand Wazoo 収録)
Frank Zappa - Eat That Question - YouTube
上で紹介したアルバムに比べ、『The Grand Wazoo』は少しザッパ特有のクセが強い作品で、この “Eat That Question” もその“クセ”が味わえる曲です。個人的には、余韻を無理やりブチ壊すような間のとり方にザッパらしさが感じられる曲です。
G-Spot Tornado(Jazz From Hell 収録)
Frank Zappa - G-Spot Tornado MTV Video - YouTube
これも『Jazz From Hell』に収録されたシンクラヴィアの曲です。PVからして毒々しい感じです。このPVが収録された『Video from Hell』というVHSビデオ、実家に眠っています。若ければ若いほど胸やけせずにはまれそうな曲。ザッパの遺作『The Yellow Shark』にもオーケストラ版が収録されていてそちらもYouTubeで視聴可能です。
以上、ザッパなのに難解じゃないおすすめ7曲でした。
ところでザッパといえば「難解」「下品」「変拍子」等々といったキーワードが思い浮かびますが、個人的には下記のような要因がザッパらしさをかもしだしているのではないかと思っています。
- 間や余韻のとり方が独特
余韻をぶった切って演奏が再開したり、呼吸を無視するかのごとく突然演奏が始まったりと、ザッパ特有の「間」があるというかないというか、そういったところが非常に独特に思います。 - 頭で作られたような「硬さ」を感じる音
音楽とは感覚的で柔らかさがありそうなものですが、ザッパの音楽には理詰めで作られたような「硬さ」を感じたりします。しかし音楽の知識がないのでそれが何かはわかりません。政治的、社会的な歌詞については言わずもがなですが。 - 洗練されきっていない(ジャケットデザインも含め)
商業ベースに乗らないなどと評されたりしますが、音楽もジャケットも、商業的でないという意味で「洗練されていない、臭みがある」と言えるような気がします。
個人的にはこのようなところにザッパ臭を感じます。
素晴らしく美しい作品を残している作家や芸術家に興味を持ってウィキペディアを覗いてみたら人格的にとんでもない人でがっかりする、といったことはよくあります。感性の人たちはあんまり客観視する習慣がないのか、自分の反社会性に無自覚だったりするのかな?と個人的には思ったりするのですが、それに対してザッパという人はとても「自覚的」な人のように思います。常に冷静に自分を見ていて、社会から「変人」と言われる振る舞いも自覚的にやっているような感じがあり、かと言って奇を衒っている風でもなく、常に覚醒しているようなところがあります。
音楽家の中にはドラッグや酒の力を借りて自分を開放し、酩酊状態で作品を作ったりする人も多いようですが、ザッパはその真逆で常に正気で覚醒しきった頭でガチガチに思考した末に作品を生み出しているような、そういったところが他の音楽と一線を画しているように個人的には思えるところです。
音楽史的にも離れ小島のような立ち位置なのもこの人の独自性のひとつのような気がします。
しかし今、Amazonを漁れば生前の作品から死後発表されたものまで、ザッパの作品は簡単に聴くことができるんだなぁと、つまり死んだ後も愛され続ける作品を残したんだなぁと、当時大阪エスト奥のレコード屋さんに漁りに行ったことなどを思い出しながらしみじみします。
これを書くにあたってCD引っ張り出してきたのですが、遺作であるYellow Shark の裏表紙に珍しく優しい表情のザッパを見つけました。別人みたい。
NHKFMのギターインストゥルメンタル特集で紹介されてたスティーヴ・ヴァイ経由でザッパを知ったこととか、エドガー・ヴァレーズの影響を受けたんだよとか、人は10代の頃に聴いた曲を生涯聴き続けるとどこかで聞いたけど、自分はザッパだったので今ちょっと困っているとか、書きたいことを無理やり詰め込んで、フランク・ザッパについてはこのへんにしとこうかな思います。