毎日楽園化計画

時々湧き上がる思考の整理

ネガティブな感情とポジティブな感情とニュートラルについて

前回予告したとおり、ここにもスピリチュアル的なことを書いてみようと思います。

はてブが好きでよく見てるんだけど、科学の範疇にないものはウケが悪いし、「科学の境界よりあっち×お金儲け」的なものはなおさら相性が悪そうなので、スピはスピでも思考実験に近いものをここに書いていこうかなと。元々自分が好きな領域がそこなので。

 

今回は、感情について。

一言にスピと言っても、本当にいろんなバリエーションがあると思います。あくまでも自分が参照させてもらってる流派(?)における「感情」の解釈です。

 

普段私たちは、怒りや悲しみ、落胆などのネガティブなものも、喜びや感謝などポジティブなものも、どちらも「感情」として一纏めに解釈するのが一般的だと思います。

しかし私が参照している界隈では、それをまったく別の起源を持つものとして解釈するようです。

 

この界隈では真我と小我と言って「自分」をいくつかに分けたりしますが、真我が存在する本来の世界(スピ用語では高次元と言ったりする)では、ポジティブあるいはニュートラルな状態が当たり前で、それが本来の在り方と解釈するようです。

それに対し、ネガティブな感情や状態というのはまったく出どころが違います。ネガティブは、この物質世界、現象世界特有のものと解釈するようです。

 

真我の住処である本来の世界は、物質や物理の制限のない、意識や精神だけの自由な世界なのですが、一方この世界に肉体を持って存在している小我(自我、自己、エゴ)は、様々な制約の中にいます。

 

満員電車の中では空間的な制約(窮屈さ)を感じるし、仕事をすれば能力的な限界を感じたりします。肉体の老化や物質の劣化など、時間に伴う制約もあったりします。

ともかく本来の世界に比べて、この世界は制限と不都合と不条理と矛盾だらけだったりします。

それはなぜかというと、無理やり物質化し、この現象世界に降りてきたから・・・というようなことらしいです。

つまり非物質の状態(意識やエネルギーだけの状態)が本来で、物質化している状態というのが特殊かつかなり無理のある状態と解釈するみたいです。

 

私たち、生まれたときからテレビのような機械やビルなどの人工物に囲まれて生きているからなかなか気づけないけど、よくよく考えてみたら、原始時代やサルだった時代からこんなに人工的で物質的な世界に進化してるの、不思議じゃありませんか?

自分はふとそう感じたことがあるので、この物質世界のほうが特殊というのは、なんとなくわかる気がします。

 

ということで、かなり無茶して物質化したと(誰が?という点についてはいずれ)。

 

プログラムやシステムに喩えるなら、ともかく目的を達成するために、後先考えずめちゃくちゃなコード書いてでも動けばいいみたいな、そういう感じなのかなと思います。

で、そんなコードで完成したら、後からバグやら不整合やらいろいろ出てくるわけです。

 

たとえば、競争したり戦ったり見栄張ったところでみんな疲れるだけなのに、なぜか意地になってそれをやめられなかったり・・・。戦争で儲かる商売なんていうのもこの世のバグのような気がしますが、これをバグの例として挙げたのは私の主観でしかないとしても、ちょっと食べ過ぎたら調子悪くなるとか、嫌な上司の影響をモロに受けてしまうとか、この世界はいろいろ脆弱性を抱えています。

 

それで話を戻しますと、ネガティブな感情というのは、これらの「無理やり」や不整合に伴って生じているものと、私が参照する界隈においては解釈されるようです。

 

一言でいうと、ポジティブとニュートラルは本来の状態、ネガティブは不自然なもの、ということです。

 

スピ界の一部では、アヌンナキという宇宙人が金を採掘させる奴隷として人類を開発したというダークファンタジー的なものが人気なですが、これもネガティブな感情は不自然とする解釈を象徴する物語なのかもしれません。

 

脳の中の、本来のポジティブな感情を生み出す器官のすぐ近くに、ネガティブを生じさせる器官を配置したのも、物質化したり知性を持つためにそうする必要があったのでしょうか。

 

ということで、ネガティブな感情とポジティブな感情は、まったく出どころが別であるという解釈を採用することで、感情の扱いがしやすくなる部分があるかもしれません。というか、自分はそう感じます。別物として切り離して扱えるから。

 

ところで、じゃあポジティブとニュートラルの違いは何かというと、たぶんこういうことじゃないかなと思います。

 

私たち(小我)からすると、何も問題がない状態というのはありがたい状態で、ポジティブなわけです。一方、本来の世界においては、問題がない状態が当たり前の状態なわけです。つまり、私たちにとってポジティブな状態が、あっちにとっては当たり前でニュートラルな状態なわけです。

あるいは、私たちの世界のネガティブと、あっちの世界のニュートラルの差分が、私たちには「ポジティブ」と感じられるのかもしれません。

 

ポジティブもネガティブも、もしかしたら差分や反動に伴う、こっち側特有のもので、本来の世界のほうは安定的にニュートラルなのかなと思います。

 

ともかく、私たちが科学や社会の共通認識としている世界の外側にある未開の領域も含めてこの世界なので(むしろ私たちが開拓できてない世界のほうが遥かに広い)、そこも想定しつつ、今この世界のQOLを上げれたらいいんじゃないか、そのひとつとして、このような感情の解釈もアリなんじゃないかという話でした。

 

Midjourney v5さんが書いてくれた“The immaterial world”