毎日楽園化計画

生活のありとあらゆるものを楽に楽しくするレシピ作りと、時々湧き上がる思考の整理

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの何がどう自伝的なのか考察してみる(その1:洗い出し)

先日、村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読みました。とても面白かったので、時々ネットの評判などを検索しながら読んでました。wikiをのぞいてみたら、これは自伝的な小説だとご本人が言っているとのこと。

そう聞くと何がどう自伝的なのか知りたくなります。今までも1Q84羊をめぐる冒険ダンス・ダンス・ダンスなどを読みましたが、あー、めっちゃ面白かったぁ!というだけで、意味を解析しようと思ったことはありませんでした。だけど今回は「自伝的」ということで、何がどう自伝的なのか知りたくなりました。

それは去年、私が『村上さんのところ』をひたすら読んで、村上さんのライフスタイルに興味を持ったせいもあると思います。そこには村上さんのライフスタイルや考え方などが断片的に書かれていました。

もしかしたらそういったリアルな村上さんの情報と照らし合わせたら何かわかるかも、ということで実践してみようと思います。

その前に、まずは小説の中に出てくる人やモノが何を象徴しているのか、私が思うところをまとめてみます。その後で、次回、何がどう自伝的なのか書いてみます。

以下便宜的に、世界の終りを「僕の世界」、ハードボイルド・ワンダーランドを「私の世界」と表記します。

これ以降はほとんどネタバレですので、これから読もうと思っている人はくれぐれも読まないことをお勧めします。

 

■対称となっているもの

この物語に出てくるものは、2つ以上のものが対称になっている気がします。でもそれはわかりやすい一定の法則のみで成り立っているわけではなさそうです。『洗い出し(ブレイン・ウォッシュ)』のように、老博士の言うブラックボックス(深層心理的なもの)のように、その法則はわかりません。

でももしかしてこれはこうじゃないかなと予測することはできます。それをあげていきます。言うまでもなく、私がそう予測するだけで当たっているかはわかりません。

 

「僕の世界」と「私の世界」

  • →物語を読み解くにおいて、『洗い出し』の時の右脳と左脳のような位置づけ
  • →内(内的世界、深層心理、心や頭の中)と外(外的世界、表層世界、社会)

 

「僕の世界」内の森と街

  • →心のある自由な世界と、心のないルールが決められた世界、管理された世界
  • →村上さん的生き方(組織などに属さない生き方)と、一般的な生き方(組織に属す生き方)

 

僕と「影」

  • →表裏の関係。人間の主体と影?

 

南のたまりの地下と、地下鉄の地下

これは僕の世界と私の世界を通じている通路という気がします。だとすれば、「私」の脳内における第一回路と第三回路を繋ぐポイントという感じでしょうか。

 

ここまではわりと共感してくれる人も多いのではないかと思います。
これ以降はちょっとこじつけかもしれないものをあげていきます。

 

獣とペーパークリップ

  • シナプス?電気信号?『第三の思考システム』を確立させるために使った手段

無数の金色の獣は、銀色のペーパークリップと何か通じてそうな気がします。脳のシナプスとか電気信号とか、老博士が『第三の思考システム』を確立させるために使った手段という感じでしょうか。やみくろの世界でも、老博士はペーパークリップで『私』を誘導したりしています。

 

発電所管理人と門番、そして僕の3人だけが心を残している

  • 発電所の管理人→知的で良い人だけど、弱くかわいそうな人(楽器コレクター)
  • 門番→強いけど、野蛮で野性的(刃物コレクター)

この両者は、主体である主人公『僕』の別の側面かも。なんとなく、モノを集めたり人間的なものを感じさせる人たちという気がします。

発電所の管理人も門番も、街(心を無くした人たちが住む場所)の人間ではありません。たしか登場人物の誰かが、門番は雇われだ(街の人間じゃない)と言っていました。ということで門番も、発電所の管理人と同じく心を消しきれなかった人間ではないかという気がします。この世界で心を無くしきれてない男は、僕を含んでこの3人という気がします。(図書館の女の子や森の人を除いて)

 

「僕の世界」の発電所管理人と門番 ⇔ 「私の世界」のちびと大男

  • 発電所の管理人→知的で善良だけど弱い
  • ちび→知的だけど狡猾
  • 門番→野蛮で強い
  • 大男→野蛮だけど素直

どちらの世界でも、それぞれ中途半端でとても人間的な人たちではないでしょうか。知的な人間の表裏と、野性的な人間の表裏を、それぞれ、発電所管理人、ちび、門番、大男といった象徴をを用いて相互の関係を表している気がします。

 

大佐と老博士

  • 大佐→組織人、縦社会の象徴。組織の中で、心を無くしながら生き抜く人の良き象徴
  • 老博士→自由人、わがままの象徴。フリーで、心のままに生き抜く人の良き象徴

どちらもその生き方を極めた人ということで、好意的な意味を感じる気がします。

 

森に住む人とやみくろ

  • 森に住む人→心の有用な面だけ残した人
  • やみくろ→森に住む人が捨てた心の側面を担ってしまった存在

森に住む人の数だけ、やみくろも存在するのではないかという気がします。個人的にはここがかなり興味深いです。心の有用な面(的確な表現が思いつきませんが)と、それ以外の面は表裏一体であるはずなのに、心の有用な部分のみを残して生きている森の人(←これは私の仮説で、物語ではその実体は不明のままです)がいるということは、心のそれ以外の部分だけ担わされた存在もいる気がします。そうであればやみくろの憎悪の理由も説明できそうです。ということは、壁の外を目指した「影」はどうなるのでしょう?

 

森と、壁の外の世界

  • 森→ほんの近く、意外な場所にある理想の場所。内なる平和。心の平和。
  • 壁の外→ここではないどこか。外に求める野望。社会的成功。

壁の中で、さらに森に住む人たちというのは、とても特別なバランス感覚を持つ人たちの世界ではないかなという気がします。注意深く物ごとを洞察できる人だけが行けるような。一方、壁の外、ここではないどこかに希望を抱くというのは、わりとありがちで単純な発想のように思います。

 

「僕の世界」の街の人と、「私の世界」の人と、森で生きる人

  • 「僕の世界」の街の人→僧侶のような無心の生き方
  • 「私の世界」の人→ごく普通の生き方(迷ったり、流されたり、中途半端)
  • 森で生きる人→そのどちらでもない(心をしっかり持ちながら生きること?)

「僕の世界」の街の人は、心を無くしたおかげで平穏に暮らしています。それはなんとなく、物欲や俗世的なものを捨てた仏教の僧侶のような生き方のような気もします。それと同時に、大佐のように縦社会の組織の中で心を無くしてきた組織人のようなイメージもあります。だけど忙しいサラリーマンのように、中途半端に心を無くしているのではなく、徹底的に心を無くしている象徴という気がします。

一方「私の世界」の人はごく普通の人間です。たとえば広場の母娘とか(その他全ての人間も)。ビール缶と寝転がる『私』にさげすみの眼差しを送るだけの心があります。レンタカーショップの女の子のように、気の利いたことを言えるだけの心を持っていたりもします。そして、私たちごく普通の人間は中途半端な部分もあります。迷ったり、流されたり。その点では徹底的に心を無くしている「僕の世界」の街の人とは対照的です。忙しさの中で中途半端に心を無くしている現代人とか、そんな感じがします。(あ、中途半端なところが門番や発電所の管理人と通じてる気がする)

一般に、僧侶のような生き方が高尚で、普通の生き方は欲深く俗物的という捉え方をすることがあります。でもこの物語はそのどちらでもない生き方(つまり森で生きること、心をしっかり持ちながら生きること)を示しているようです。

 

「僕の世界」の1人の女性と、「私の世界」の3人(以上)の女性

  • 「僕の世界」の1人の女性(図書館の女の子)→老博士が言う失ったもの(つまり主人公にとって唯一の女性)
  • 「私の世界」の3人(以上)の女性→太った女の子、(「私の世界」の)図書館の女の子、離婚した前妻、(その他、主人公が関わった女性)は、唯一の女性を得られなかったことの象徴。「僕の世界」の図書館の女の子(の心?)が偏在、分散している

「僕の世界」では図書館の女の子だけが唯一の女性だけど、「私の世界」には、太った女の子、図書館の女の子、離婚した前妻、その他いろいろ女性が出てきます。最初、「僕の世界」の図書館の女の子に相当するのは、太った女の子か(私の世界の)図書館の女の子、どっちだろうと思ってましたが、これはどっちというわけではなさそうです。なぜなら、老博士がその世界(僕の世界)であなたは失ったものを手にすることができると言っているからです。たぶん失ったもの、得ることができなかったものとは、主人公にとっての唯一の女性や、しっかりした心を持つことではないかなと思います。

 

「僕の世界」の3人の男性と、「私の世界」の3人の女性

「私の世界」に3人の主要な女性が登場する代わりに、「僕の世界」には3人の「心を失ってないかもしれない」男性が出てきます(僕、発電所管理人、門番。※影は除く)。この3対3が何か対応してるのかしてないのか、よくわかりません。 

 

■その他

  • 鳥→ここではないどこかに希望を抱かせる、思わせぶりで人を惑わせる象徴。一般的にも自由の象徴
  • 手風琴→風、(命や心を)吹き込む?
  • 風→手風琴も、それをくれた管理人がいる発電所も、風でつながっている。風は何の象徴?(風の歌を聴けでも読んでみよう)
  • 影→狡猾さ。(影はやみくろになる?)
  • 古い夢と頭骨→偏在する人間の意識(ユング集合的無意識的なもの)とその入れ物(人間、個体)
  • 夢読み→たとえばリアル村上さんが文章を書いたり読んだりするような行為
  • エレベーター→別世界への入り口?もしかしたら、第二や第三の意識の影響の兆候だったのかも。
  • 老人たちの掘る穴→その仕組み(世界)を維持するためだけの労力。新たな価値を何も生み出さない労力。儀式的なもの?
  • 壁の外と中の間に門番がいて、街と森の間に発電所管理人がいること→それぞれ区域の境界

 

また追記するかも知れないけど、今思いついたのはこんな感じです。もっとうまく整理できればいいけど。

こういう観念的なものっていくらでもこじつけようがあるので、もしかしたら全てこじつけの域を出ないものかもしれません(笑)。

ということで次回、その2のほうで、これらを使って何がどう自伝的なのか読んでみたいと思います。

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

 

 

村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

 

 

村上さんのところ

村上さんのところ

 

 

 

 

楽園化計画再開します

お久しぶりです。

旦那がフリーランスになり、ちょっとバタバタして『おうち最適化計画』も放置してましたが、ちょっと落ち着いてきたので再開します!

実はブログにアップしなかっただけで、少しおうち最適化は進んでおり、旦那の仕事用デスクも去年の夏には完成してました。

こんな感じ。

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設計通りスライドも付けました。ここに本や書類やペンタブ置いたりして、想定通り活用してくれています。

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安いホームセンターのパイン集成材ですが、なかなか良い感じではないでしょうか。蜜蝋やカルナバで作ったワックスで表面をコーティングして、掃除しやすくしました。

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ちなみにSketchUpで描いた設計はこれでした。

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これだと脚が不安定だし歪むので、実際には補強で下のほうに梁?を渡しました。また、市販の金属のスライドレールでスライド台を実現することにしました。

 

という感じで、すこーしずつ進んでますので、今後も仕事の合間に進められたらと思っております。

次の予定はこれです。寝室の洋服収納です。

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寝室なので、なるべく背が低く、気持ち倒れにくいのが理想だなということで、壁に寄りかかるような設計にしたつもりなのですが、物理が苦手なので実際どうなのかはわかりません(笑)。

 

ということで、今後ともよろしくお願いいたします!

 

 

 

柑橘系好きの人なら気に入るかもしれないふたつの香水、リモン・コルドーザとオレンジ・サングイン

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大変お久しぶりの更新になりました。

主人が会社辞めたり、私も仕事を手伝ったりといろいろバタバタしてたのですが、やっとこのブログを更新できるくらい落ち着きました、というか、いい香水見つけて書かずにはいれないだけなのですが・・・。

 

ことの始まりはこのツイートでした。

 

 アトリエコロン、なんか良さげだなと思い、ここでも柑橘系出してるかなと調べたら、ありました。オレンジ・サングインというやつ。しかも何やら賞をとっているそうです!

japanfragrance.org

 

柑橘系の香りが好きで、精油でなんとかできないかしらと試行錯誤するとこまで足を踏み入れた自分としては、気になっていてもたってもいられません。

ということで、主人の靴を買いに行ったついでに見にいきました。

ありました。某百貨店のメンズの売り場に。この手のユニセックスの香りとかメゾンフレグランスとかいうやつは、コスメフロアよりメンズの売り場のほうが豊富なんでしょうか?

引き寄せられるようにディスプレイを見ていると、店員さんがやってきて、同じ展示台に乗っていた別のブランドの香水をしてくれました。何やら4種類くらいがセットになったコフレとのこと。

柑橘系が好きなんですよ、みたいなことを言ったら、その中から柑橘系のを選んでムエットにプシュッとしてくれました。

それをかいでみると、もう素晴らしく第一印象が良かった!

ムエットが冷気をまとっているかのように、ものすごく爽やかでインパクトあったんですよね~。

それがトップの画像、ザ・ディファレントカンパニーのリモン・コルドーザでありました。

その第一印象が強すぎて、その後香ったオレンジ・サングイン含む他の香りがちょっとかすむほどでした。

とりあえず、リモン・コルドーザを手首につけてもらい、同じくリモン・コルドーザとオレンジ・サングインのムエットをもらって、そのときはその場を後にしました。

今まで試したことのある柑橘系の香水は、第一印象が良くてもしばらくすると香りが全くなくなったり、後から甘ったるい香りや逆に苦味が出てきてガッカリしてたんですが、このリモン・コルドーザはずっとさっぱりしたままなんですよね。

トップのフレッシュな爽やかさや確かに失われるんですが、それでもスッキリしたままなんです。

私はそれほど香水詳しくないので見当違いなたとえかもしれませんが、街中ですれ違う女性のクロエの香りはいつもスッキリしてますよね。さすが評判の香水だなと私もわりと好きなんですが、あの手のスッキリさに似ているかもしれません。

これは欲しい!と、街中をうろうろするうちに気づいてしまい、主人にどれだけ気に入ったかを説明し、とうとう売り場へ戻ってしまいました。

もうリモン・コルドーザを買うつもりで戻ったんですが、いざ戻って、最初にもらって数時間経ったムエットをかいでみると、これがオレンジ・サングインのほうもノートが移り変わってていい感じなんですわ~。同じく時間が経ったリモン・コルドーザと比べると、かすかにオレンジ・サングインのほうが甘いくらい。香りのもちはオレンジ・サングインのほうが良い(そもそもコロンなのにもちが良く画期的ということで評判になった香水らしいです)。

ここからひたすらムエットを交互にかいで、店員さんにあれやこれやと質問して(プロフェッショナルな店員さんでとても丁寧に説明してくれました)、最後はもうエイヤッって感じで甘さがより少ないリモン・コルドーザを選びました。

で、機嫌よくおうちに帰ってここからもまたリモン・コルドーザの能書きやアットコスメの評価をネットで調べるというお楽しみがあるのですが、ないんですよ、リモン・コルドーザの記事が。

しかし諦めきれずに検索しまくってたら、えらい事実を発見しました。このリモン・コルドーザもオレンジ・サングインと同じ日本フレグランス賞をとってるわけですよ!

japanfragrance.org

 

柑橘系好きで、なるべくナチュラルなのが好き(リモン~もわりと天然香料多めでこだわっているとのこと)な自分としては、もうちょっと注目されてもいいんじゃないかと思うのですが、やっぱり優雅で甘さがある香りのほうが主流なんでしょうかねぇ・・・。

その後もお風呂のあとにつけて楽しみ、一晩明け、オレンジ・サングインどんなだったかなーと気になり、また昨日のムエットをかいだりしてたのすが、これはこれで控えめな甘さがいいんですよね~~~。

一瞬こっちにすれば良かったかもと思いましたが、店員さんがちゃんとテスター入れてくれてたので、また試してどうしても欲しくなったら買ってしまうかもしれません(主人が見たら怒りそう)!

柑橘の香りが好きすぎて精油をいじくりまわすとこまでやって、いかに良い香りを作るのが難しいか(今思うと当たり前ですが)、香りを保持するのが難しいか、安全なものを作るのが難しいか、柑橘の香りがいかに飛ぶのが早いかをわかった後なので、なおさらこのふたつの香水は素晴らしいと思います。

一年前の自分はパシャ!のようなフルーツそのまんまの香りを探していたのに対し、今は精油で香水作りを試したり、いろんな香水の試香を経て、ちょっと洗練された柑橘系も良いと思うようになっているのかもしれないという、好みの変化もあるかもしれないのですが、強すぎる香水が苦手な人や、柑橘好きの人にはぜひかいでみてもらいたいふたつの香水でありました。

【12/10追記】

このエントリーをアップした夜、オレンジ・サングインのテスターをつけて寝たんですが、やっぱりムエットと肌につけるのでは違うようで、フルーティフローラル?っぽい甘さがありました(それでも控えめな甘さとは思いますが)。ということで、自分はやっぱりリモン・コルドーザで正解だった気がします。

たぶん夏向きの香りなんだとおもいますが、たとえばロクシタンのヴァーベナでさえ甘く感じる人には、リモン・コルドーザ、良いかもしれません。

 

 

Atelier Cologne Orange Sanguine (アトリエ コロン オレンジ サングイン) 1.0 oz (30ml) Cologne Absolue

Atelier Cologne Orange Sanguine (アトリエ コロン オレンジ サングイン) 1.0 oz (30ml) Cologne Absolue

 

 

ちなみに、買い物の本命、この記事を見て買いに行った主人のこの靴も良かったです。 

[ジャランスリウァヤ] JALAN SRIWIJAYA キャップトゥ 98321 BLACK(BLACK/8)

[ジャランスリウァヤ] JALAN SRIWIJAYA キャップトゥ 98321 BLACK(BLACK/8)

 

  

 

奄美民謡。美しいオーケストラの『よいすら節』

冬はずっと古いジャズのラジオを聴いていたのですが、暖かくなってくるとちょっと気分に合わなくなってきました(ホットジャズと言うだけあって)。

そんなことで春夏のプレイリストを作ろうと、過去の再生リストをあさっていたらこの曲が出てきました。『よいすら節』。管弦楽をバックに演奏されているものです。

 

交響譚詩「ベルスーズ奄美」3 合唱無し版 山畑馨作曲 - YouTube

 

去年スマホで奄美のFMばかり聞いていた頃に見つけた曲なのですが、久々に聴いて、あらためて美しいなぁと思ったので書いておきます。

 

『よいすら節』は奄美の有名な島唄で、これまでも聴いたことがあったのですが、島唄を聴き慣れていない自分としては特に印象に残ることもなく、「なるほど。島唄だ」という感想くらいしかありませんでした。

ところがこれは管弦楽が伴奏というちょっと変わったパターンで、一度聴いただけで非常に印象に残りました。

 

調べたところによると、NHK交響楽団出身の山畑 馨さんという方が公演された『交響譚詩「ベルスーズ奄美(奄美の子守唄)」』の一部分のようです。

唄と三線は奄美でも人気のある唄者坪山豊さんで、くるくるとコブシ(グィンと言うらしい)がまわりながら高音に上がっていく感じがなんとなくせつないです。

管弦楽の伴奏が心情的な部分が強調しているようで、西洋ルーツの音楽に慣れている現代人でも、島唄の背景が読み取れるような感じがします。

変なたとえですが、管弦楽の伴奏が自転車の補助輪の役割を果たしている感じでしょうか。この演奏を聴いた後に本来のよいすら節を聴くと、少し島唄に近づけたような感じがします。

 

こちらも奄美で名人と謳われる武下和平さんのよいすら節。


武下和平「よいすら節」 - YouTube

 

 

女性の唄声もいいです。


奄美島唄 よいすら節 - YouTube

 

ウィキによりますと、

兄弟または海に出た男性を守護する、姉妹に宿る霊をなり神(姉妹神)信仰に基づく唄である。艫に止まった白い鳥ををなり神の象徴として捉え、吉兆とする。

ということで、おめでたい曲のようなんですが、なんとも哀愁を感じます。

一時、奄美や沖縄の民話に興味を持って図書館で借りて読んだりしてたんですが、そこでもウィキにあるような、舟出する男性たちを島の女性たちが祈ることで護る、といった話が多くあったように思います。

危険な海に出る男性と、それを見送る女性の心細さみたいなのが曲の中に込められていて、それが哀愁を醸し出してるのかなぁという気もします。

じっさい奄美や沖縄には、ノロやユタといった巫(かんなぎ。祈り手?といいましょうか)がいらっしゃるのですが、そのほとんどが女性とのこと。母系社会でもあるらしいのですが、そういった男性が海に出るといった事情と関係あるのかもしれません。

 

ところで村上春樹さんも『村上さんのところ』で、各国各地の神話には人類に共通するものがあるんじゃないかとおっしゃってたのですが、奄美・沖縄の民話においても、この男女が夫婦であったり兄妹であったり、あるいはどっちとも取れるケースもあったりと、本土の日本神話に通じる混沌さがあってちょっと不思議な気持ちになりました。

そういった深淵に触れる感じが、この哀愁の理由だったりするのかな、という気がしないでもありません。

 

ちなみに坪山豊さんは船大工兼業で、42歳デビューの遅咲きの唄者とのこと。かっこいい! 唄などの芸と生活が共存してるのはある意味理想的だなぁ、などとも思いました。

 

 

この『村上さん』は、原発の「理想」と「現実」を地続きにさせるひとつの達成ではないかと勝手に思っている

ずっと追っかけている『村上さんのところ』。

読者との交流がメインとあって、個人的な政治的主張はここでは控えると当初村上さんはおっしゃっていました。

しかし後半に差し掛かって、(私の印象では)原発への言及や、政治的なにおいのする回答が増えていったように思います。

2月の後半、村上さんは政治的な質問に対して、こう回答されています。

かなりむずかしい判断になります - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

僕はどちらかといえば、はっきりとした立場と意見を保持していますが、一人の小説家としてそれをどのようなかたちで表していくかというのは、かなりむずかしい判断になります。言い換えれば、どのようなかたちにすればもっとも有効性を持ちうるか、ということになりますが。考えさせてください。

「考えさせてください」 とあるので、たぶん考えておられたんじゃないかなと思います。原発に関しても、火種をまくのではなく、「有効性を持ちうる」表現のかたちというものを。

 

そして4月25日、このエントリーがアップされました。

この矛盾とどう向き合えばいいでしょう - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

朝起きて布団の中でこのエントリーを読んだとき、心が躍りました。その理由は、100文字に収めるのにものすごく時間をかけて苦労したこのブコメに書きました。

この矛盾とどう向き合えばいいでしょう - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

村上さんの主張の中身が「即ゼロ」ではなく、国に前進の意志があるかを問うている点/蓋を開けてみれば、反派や肯定派と目されていても(良識的な人なら)考えに大差ないという点/この2つがわかってすっきりした

2015/04/26 08:20 

自分の結論としてはこれで十分な気もしますが、もうちょっと言いたいことがあるので、以下に自分が感じたことを書いてみます。

(本当は右とか左とか、保守とかリベラルとか、原発反対派とか推進派とか、あまりまっぷたつにわけたくはないのですが、ちょっと便宜的に頻用させていただいてます。その点ご了承ください。)

 

両者が共感する点とひっかかる点がバランスよく含まれている

この村上さんの回答には、原発否定派が同意できる考えと、肯定派が同意できる考えが両方含まれています。

たとえば、

もしそれが国民注視のもとに注意深く安全に運営されるなら、過渡的にある程度存在しても仕方ないとは思っているんです。

この部分は、今までカタルーニャのスピーチなどで村上春樹脱原発だと思っていた容認派(推進派)の人たちからしたら「お!?」っとなる部分だろうと思います。

逆にその後の、

しかし実際にはまったくそうではないから、国や電力会社の言うことなんてとても信用できたものではないし、今のこのような状況下で再稼働はもってのほかだと考えているのです。

の部分は、やっぱり村上さんは再稼働に反対してくれてると、反対派の人たちを安心させただろうと思います。

また、冒頭の、

ただ単純に原発(核発)を止めて、自然エネルギーだけにしろといっても、そんなに簡単に目標が達成できるものではありませんよね。何かを変えようとすれば、いろんな矛盾や問題が次々に出てきます。

この部分は、現実に重点を置いて物事を見る右派(推進派)の人がうなずく部分であり、理想に重点を置く左派(反対派)の人にもなるほどと感じさせる部分のように思います。

こういうふうに読み解いてみると、右の人が共感する部分と、逆に左の人が共感する部分が両方入っている、逆に、右の人が反発を感じる部分と左の人が反発する部分が両方あるということです。

100%共感できないものであれば無視できますが、共感できるなかに少し引っかかる部分があると、ちょっと立ち止まってそれについて考えてみようという気にもなります。

というふうに、いろんな考えの人があらためて考えるきっかけになるよう、共感するポイントと引っかかるポイントがバランスよく含まれているように思えます。村上さんがそれを狙ってやっていたとしても、率直に正直に書いていたとしても、どっちでもかまわないくらい、素晴らしいバランスだなと感じました。

 

事故から4年後というタイミング

そしてもうひとつ思う点は、こういった考えが表明されるタイミングも良かったのではないかと思います。

原発事故直後は「脱原発派」と「推進派」、わりと極端に割れていた印象がありますが、事故から4年経つ間に、みんなうすうす凝り固まった極端な考えでは限界があることに気づいてきているのではないかと思います。

核燃料が実際解け落ちていることがわかったり(当初から小出さんが指摘していた点)、再稼働に時間がかかっていたり、逆に、村上さんが言うような他の発電方法のリスクがわかったり、核廃棄物を安全に管理するためには原子力技術の維持が必要だとわかったり・・・。そういったことが新たにわかるたびに、柔軟に考えをバージョンアップする必要があるなぁと私自身も思います。このエントリーのはてなブックマークもわりと共感するコメントが多いですし、4年たった今、そう感じてる人は多いのではないでしょうか。

 

「みんなで知恵をしぼって詰めていけば、なんとか答えは出るんじゃないか」

「みんなで知恵をしぼって詰めていけば、なんとか答えは出るんじゃないか」 

村上さんの思いはここにつまってるんじゃないかと、そんなふうに思えました。

原発や政治における議論では、しばしば現実(保守)と理想(革新)という二項対立になりがちで、相手を打ち負かすのが目的化したりしてますが、本来はその両極を地続きにさせて、ゆっくり現実から理想へ推移していく、それが本来の議論のあり方なのではないか、私自身最近そう感じていたので、村上さんのこの言葉もとても響きました

ここには具体的な解決策は断定的な結論は書かれていません。村上さんが言いたかったのはそんなことではなく、もっと根本的なことだったのではないかと思います。原発に対して、みんなでどんな姿勢を持ちうるか、どう意志を持つか、そういうことだったのではないかと思います。

余談ですが、先日まで放送されていた「マッサン」でも、理想家のマッサンとリアリストの鴨居の大将、あるいは、一級酒という理想と三級酒という現実(需要)という両者がせめぎ合うなかに達成がありました。理想と現実、どちらが欠けていても成功はないんだなと、そう感じられました。(そしてこの村上さんの回答ひとつのなかにも、理想と現実のせめぎ合いがあります。)

 

そういえば、その後こんな回答もありました。

「嫌韓憎中」本の氾濫に異議あり - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

僕は右でも左でもありません。どのような陣営に属しているわけでもありませんし、政治運動に関わっているわけでもありません。誰かに意見を押しつけているわけでもありませんし、誰かを排斥しているわけでもありません。自分の意見だけが正しいと思っているわけでもありません。僕の発言はあくまで僕個人のものであり、僕個人がその責任を引き受けることになります。

 

右でも左でも(たぶん真ん中でも)ない、何でもない立場からの発言というのは、今まであまりなかったように思います。あったとしても、右と左の喧噪に埋もれて私がうまく見つけられなかっただけかも知れませんが。だけど、村上さんのような人が、「何でもない」立場からこのように発言すれば、それはじわりじわりと世の中に効いていくのではないか、そういう意味でのひとつの達成ではないか、そう感じる回答でした。