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毎日楽園化計画

生活のありとあらゆるものを楽に楽しくするレシピ作りと、時々湧き上がる思考の整理

この『村上さん』は、原発の「理想」と「現実」を地続きにさせるひとつの達成ではないかと勝手に思っている

ずっと追っかけている『村上さんのところ』。

読者との交流がメインとあって、個人的な政治的主張はここでは控えると当初村上さんはおっしゃっていました。

しかし後半に差し掛かって、(私の印象では)原発への言及や、政治的なにおいのする回答が増えていったように思います。

2月の後半、村上さんは政治的な質問に対して、こう回答されています。

かなりむずかしい判断になります - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

僕はどちらかといえば、はっきりとした立場と意見を保持していますが、一人の小説家としてそれをどのようなかたちで表していくかというのは、かなりむずかしい判断になります。言い換えれば、どのようなかたちにすればもっとも有効性を持ちうるか、ということになりますが。考えさせてください。

「考えさせてください」 とあるので、たぶん考えておられたんじゃないかなと思います。原発に関しても、火種をまくのではなく、「有効性を持ちうる」表現のかたちというものを。

 

そして4月25日、このエントリーがアップされました。

この矛盾とどう向き合えばいいでしょう - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

朝起きて布団の中でこのエントリーを読んだとき、心が躍りました。その理由は、100文字に収めるのにものすごく時間をかけて苦労したこのブコメに書きました。

この矛盾とどう向き合えばいいでしょう - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

村上さんの主張の中身が「即ゼロ」ではなく、国に前進の意志があるかを問うている点/蓋を開けてみれば、反派や肯定派と目されていても(良識的な人なら)考えに大差ないという点/この2つがわかってすっきりした

2015/04/26 08:20 

自分の結論としてはこれで十分な気もしますが、もうちょっと言いたいことがあるので、以下に自分が感じたことを書いてみます。

(本当は右とか左とか、保守とかリベラルとか、原発反対派とか推進派とか、あまりまっぷたつにわけたくはないのですが、ちょっと便宜的に頻用させていただいてます。その点ご了承ください。)

 

両者が共感する点とひっかかる点がバランスよく含まれている

この村上さんの回答には、原発否定派が同意できる考えと、肯定派が同意できる考えが両方含まれています。

たとえば、

もしそれが国民注視のもとに注意深く安全に運営されるなら、過渡的にある程度存在しても仕方ないとは思っているんです。

この部分は、今までカタルーニャのスピーチなどで村上春樹脱原発だと思っていた容認派(推進派)の人たちからしたら「お!?」っとなる部分だろうと思います。

逆にその後の、

しかし実際にはまったくそうではないから、国や電力会社の言うことなんてとても信用できたものではないし、今のこのような状況下で再稼働はもってのほかだと考えているのです。

の部分は、やっぱり村上さんは再稼働に反対してくれてると、反対派の人たちを安心させただろうと思います。

また、冒頭の、

ただ単純に原発(核発)を止めて、自然エネルギーだけにしろといっても、そんなに簡単に目標が達成できるものではありませんよね。何かを変えようとすれば、いろんな矛盾や問題が次々に出てきます。

この部分は、現実に重点を置いて物事を見る右派(推進派)の人がうなずく部分であり、理想に重点を置く左派(反対派)の人にもなるほどと感じさせる部分のように思います。

こういうふうに読み解いてみると、右の人が共感する部分と、逆に左の人が共感する部分が両方入っている、逆に、右の人が反発を感じる部分と左の人が反発する部分が両方あるということです。

100%共感できないものであれば無視できますが、共感できるなかに少し引っかかる部分があると、ちょっと立ち止まってそれについて考えてみようという気にもなります。

というふうに、いろんな考えの人があらためて考えるきっかけになるよう、共感するポイントと引っかかるポイントがバランスよく含まれているように思えます。村上さんがそれを狙ってやっていたとしても、率直に正直に書いていたとしても、どっちでもかまわないくらい、素晴らしいバランスだなと感じました。

 

事故から4年後というタイミング

そしてもうひとつ思う点は、こういった考えが表明されるタイミングも良かったのではないかと思います。

原発事故直後は「脱原発派」と「推進派」、わりと極端に割れていた印象がありますが、事故から4年経つ間に、みんなうすうす凝り固まった極端な考えでは限界があることに気づいてきているのではないかと思います。

核燃料が実際解け落ちていることがわかったり(当初から小出さんが指摘していた点)、再稼働に時間がかかっていたり、逆に、村上さんが言うような他の発電方法のリスクがわかったり、核廃棄物を安全に管理するためには原子力技術の維持が必要だとわかったり・・・。そういったことが新たにわかるたびに、柔軟に考えをバージョンアップする必要があるなぁと私自身も思います。このエントリーのはてなブックマークもわりと共感するコメントが多いですし、4年たった今、そう感じてる人は多いのではないでしょうか。

 

「みんなで知恵をしぼって詰めていけば、なんとか答えは出るんじゃないか」

「みんなで知恵をしぼって詰めていけば、なんとか答えは出るんじゃないか」 

村上さんの思いはここにつまってるんじゃないかと、そんなふうに思えました。

原発や政治における議論では、しばしば現実(保守)と理想(革新)という二項対立になりがちで、相手を打ち負かすのが目的化したりしてますが、本来はその両極を地続きにさせて、ゆっくり現実から理想へ推移していく、それが本来の議論のあり方なのではないか、私自身最近そう感じていたので、村上さんのこの言葉もとても響きました

ここには具体的な解決策は断定的な結論は書かれていません。村上さんが言いたかったのはそんなことではなく、もっと根本的なことだったのではないかと思います。原発に対して、みんなでどんな姿勢を持ちうるか、どう意志を持つか、そういうことだったのではないかと思います。

余談ですが、先日まで放送されていた「マッサン」でも、理想家のマッサンとリアリストの鴨居の大将、あるいは、一級酒という理想と三級酒という現実(需要)という両者がせめぎ合うなかに達成がありました。理想と現実、どちらが欠けていても成功はないんだなと、そう感じられました。(そしてこの村上さんの回答ひとつのなかにも、理想と現実のせめぎ合いがあります。)

 

そういえば、その後こんな回答もありました。

「嫌韓憎中」本の氾濫に異議あり - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

僕は右でも左でもありません。どのような陣営に属しているわけでもありませんし、政治運動に関わっているわけでもありません。誰かに意見を押しつけているわけでもありませんし、誰かを排斥しているわけでもありません。自分の意見だけが正しいと思っているわけでもありません。僕の発言はあくまで僕個人のものであり、僕個人がその責任を引き受けることになります。

 

右でも左でも(たぶん真ん中でも)ない、何でもない立場からの発言というのは、今まであまりなかったように思います。あったとしても、右と左の喧噪に埋もれて私がうまく見つけられなかっただけかも知れませんが。だけど、村上さんのような人が、「何でもない」立場からこのように発言すれば、それはじわりじわりと世の中に効いていくのではないか、そういう意味でのひとつの達成ではないか、そう感じる回答でした。