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毎日楽園化計画

生活のありとあらゆるものを楽に楽しくするレシピ作りと、時々湧き上がる思考の整理

笹井さんを自殺に追い込んだ責任と、今だ男性に強さと我慢を無意識に求めることについて

STAP細胞の騒動については前々から関心があったのですが、あんまり私の生活と関係ないので書かないでおこうと思ってました。しかし下の記事を読んでちょっと思うところあったのでまとめて書いてみようと思います。

理研、笹井氏異変を10日前に把握 辞任認めず対応遅れ「速やかに検証する」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

記事からわかること

  • マスコミと世論だけが笹井氏を自殺に追いやったわけではない
  • 理研の、小保方さんと笹井さんへの精神的ケアに差がある

なぜ小保方さんと笹井さんへの対応に差があったかの推測

  1. マスコミにより晒されている小保方さんを守ろうという意識が働いた
  2. 「まだ未熟な研究者である」「若い」「女性である」という要因から、理研は小保方さんを保護する必要を感じたのに対し、笹井氏には安定したキャリアを積んだ成人男性であることから逆に「耐える」ことを求めた

2.について率直に言うと、やはり両者に対して「強くあるべき者」と「弱い者」という捉え方が無意識にされていたんじゃないかと理研上層部の対応を見ていると思う。実際、竹市センター長が「もう少し我慢してほしかった」と言ったとの報道もあった。

 

両者の責任の大きさの差と事件への認識の差の推測

しかし両者の感じている責任の大きさ、認識というのは、今までの報道から以下のような差があったのではないかと思う。

  • 小保方氏
    認識する責任の大きさ → 自分にかかる範囲の責任
    事件への認識 → 自分が未熟ゆえなので仕方ない。論文の完成度が低かっただけでそれはSTAP細胞の有無とは別

  • 笹井氏
    認識する責任の大きさ → 自分自身の責任、小保方さんへの責任、理研組織への責任、この分野の第一人者としての社会への責任、(あるいは家長として家族への責任)
    事件への認識 → 対iPSで劣勢に立たされる中でSTAP細胞といううまい話につい魔が差してしまった後悔、小保方さんの実力を見抜けず適切な管理監督しなかったことへの後悔、会見で「STAP現象は仮説」と明言しながら立場上それを否定出来ないという矛盾の自覚・・・等々

中身は間違っている部分もあるだろうけど、今までの報道から両者にこれくらいの責任の量的な差、認識の差はあるだろうと推測するのは可能なんじゃないかと思う。

 

何が笹井氏を苦しめたか

つまり大きな量の責任が笹井さんに真正面からかかっていた上、元記事にも「辞めさせてもらえない」とあるように、逃げ道も塞がれてしまった。それが苦しかったのではないか。

 

個人的にはもうひとつ笹井さんを苦しめた要因があるのではないかと思っていて、それは、

「“ 科学に誠実にありたい研究者としての自分 ” と、“ 組織や小保方さんのためにそれ(科学への誠実)を拒まざるをえない自分 ” との間で苦しんだのではないか」

ということ。これはとても組織人的な要因なんじゃないかなぁと思った。

 

自分個人は、自分や自分が大切にしてるものに忠実にありたいけど、そうすると組織や周りに迷惑をかけてしまう、または組織や周りがそうあることを許してくれないとか。自分の本心と周りとの間で板挟みになってしまうのではないかと。

 

私はこういった、誰かが大きく凋落するような事件が起こるたびに小室哲哉の件を思い出したりするのだけど、たとえば彼のように大きく転落しても自分一人のことなら早々に「ごめんなさい」することができる。そして再出発できる。「捨てる神あれば拾う神あり」でチャンスが巡ってくることもある。だけど本当のことが言えない、ごめんなさいできない、事件が終わらない、その限り再出発もチャンスも巡ってこない、いつ終わるともわからないそんな状況が延々続く。そんなことも笹井さんを苦しめたんじゃないかなと思う。

 

マスコミや世論のせいもあるだろうけど、上記のような要因があるとすればそれはほんの一部じゃないかなと思う。そう考えると組織の中でそれなりの責任を背負っている人で、かつあまり自己正当化が上手じゃない人には起こりえる状況じゃないかなと思う。

 

ちょっと飛躍した個人的な考え

ところで、このSTAP細胞については当初から小保方さんの女子力がクローズアップされ、それを“マスゴミ”的と嫌う声も多かったけど、しかし冒頭にも少し触れたように、私個人はこの「男女の差」はこの自殺まで関わり続けているんじゃないかと思う。

 

Twitterを眺めていたら、笹井氏の自殺に対して「日本の男は弱い」と言っている人がいて、やっぱりまだまだ私らの無意識には「男は強くあるべき」みたいな価値観が刷り込まれてなかなか消えず、ふとした瞬間にポロッと出てきてしまうんだろうなぁ、そしてやっぱり理研上層部の人たちも無意識に笹井さんを男性である(それ以外の要因ももちろんあるけど)と認識して耐えることを求めたのではないだろうかと思った。

 

女性が女性らしさを強いられて苦しんできた一方、男性も男性らしさを強いられてきたんだけど、女性が求めてきた男女同権に社会が近づいていく中で、男性にもそういった「しばり」が存在したことに(社会が?)気付き始めたんじゃないだろうか。NHKクローズアップ現代でも最近このような特集が組まれたりしている。

男はつらいよ 2014 - NHK クローズアップ現代

 

少し話はそれるけど、女性は腕力や体力、妊娠出産にまつわる部分において男性や社会のフォローが必要ではあるけど、頭脳労働やメンタルの場面においては男女どっちが強いとか弱いとか言い切れないのではないかと思うので、その女性に必要なフォローの範囲をもっと厳密に線引きすれば男性も楽になるのではないかなと思う。

 

笹井さんに責任が大きくのしかかったのは、立場的なもの、年齢的なもの、性格的なものその他いろいろあって決して「男性だったから」だけではないだろうけど、小保方さんとの対比の中で自分はどうしてもそこに目が行ってしまった。

 

男性であれ女性であれ、弱かろうが責任を真正面から受け止められなかろうが、それで死なずに済むならそっちのほうがいいなと思う。